ただいま「恋愛」について考えている、朝日新聞夕刊の連載「オトナの保健室」。恋愛について歴史的な観点から分析した著書「男たち/女たちの恋愛」(勁草書房)のある、一橋大学大学院社会学研究科専任講師の田中亜以子さんへのインタビュー後編です。「恋愛至上主義」への疑問も抱く取材メンバーですが、実はその火付け役は朝日新聞の連載だったらしく……。
- 【連載】オトナの保健室
【前編】「男女の友情は成立するか」なぜ議論したくなる 時代が作った恋愛観
「男女の友情」に疑問を抱くのは、私たちが近代になって抱いた人間観と密接に関わっているそうで。
「恋愛」それは近代の道徳として
――近代社会において、恋愛が強固な社会基盤となっていることはわかりました。日本でそのような価値観が流通するきっかけはあったのでしょうか。
大正時代、「恋愛論ブーム」が起きました。火付け役となったのが、1921(大正10)年に「大阪朝日新聞」と「東京朝日新聞」で連載された、英文学者・厨川白村(くりやがわ・はくそん)による「近代の恋愛観」です。
厨川は、恋愛が「自己を完成」するものであるだけでなく、「新しい生命を想像し、子孫という形で自己を永久に保存する」ために生じると論じました。
その主張は、恋愛を通じて「本当の自分」を実現することと、「男として妻子を養う」という男性役割を担うことを両立させようとしたことを意味します。
もっとも、厨川の「恋愛結婚」を理想とする考え方は、知識人が説いている高尚なもので、みんなが実践できるものではありませんでした。普及したのは戦後です。ただし、大正期に新しい考え方として迎えられていったものではありました。
それまで、人々にとって恋愛は、主君への忠義心や親子の恩愛に比べて、浮薄だと映るものですらあった。そうしたなかで、厨川の論は男女の性愛による関係こそが人生において重要であると強調し、「恋愛」という概念を刷新していきました。
――今から見ると、当たり前のことを言っているような気もしますね。
それだけ社会に浸透したということで、それこそがすごいことだと言えます。恋愛を結婚と結託させて、ライフステージの中に位置づける。そうすることで「恋愛によって結婚し、子どもを産み育て、死んでいく」という生き方の指針を示したのです。
この考え方が普及することで、恋愛は「生きるための最大の道徳」になっていった。近世社会でいうところの「孝」に匹敵する指針と言っても過言ではありません。
近代というと、封建的な権力から個が解放された時代とイメージしがちです。恋愛において重視されるのも、個と個の関係です。しかし解放されたのはあくまでも、近代国家という枠組みの中での個人でした。「われわれ日本人」「われわれ文明人」という枠からはみ出る個人は、許容されなかった。
近代国家が整備されていくなかで、女性は良妻賢母となることが求められ、男性も仕事を成功させて立身出世すべきだ、とされました。
男性にとって恋愛は立身出世のご褒美であり、逆に出世でナンバーワンになれなくても、愛する女性には受けとめてもらえるという形で理想化されていきました。「No.1にならなくてもいい もともと特別なonly one」(「世界に一つだけの花」作詞・槇原敬之)ということでしょうか。
自己実現、妻や母になることこそ?
――男性にとって「恋愛」が自己解放の場となるのはわかりましたし、私にも身に覚えがあります。女性にとってはどうだったのでしょうか。
恋愛結婚の理想は、親の決めた相手ではなく、自分の愛した人と結婚するという「自己決定」の性格があります。その半面、結婚を通じて女性は「妻」となり「母」となる。それこそが自己実現なんだ、と型に押し込められてもいった。
「本当の自分」や「自己実現」、それに「自分らしさ」という言葉は今もはやっていますが、こうした概念は一定の型にはめられやすいものでもあります。
結婚して母になることこそが女性の幸せであるというあり方は、1960年代ごろまで主流でした。自己実現と「それでこそ一人前になる」という考えが入り交じった形ではありましたが――。50年代から60年代は、母親としてのアイデンティティーに基づいた「母親運動」のような形で女性たちが活動していた時代でもあります。
それが、70年代のウーマンリブあたりから従来型の「自己実現」への反発が出てくる。80年代の雑誌には「女性の自己実現」に関する話題が頻出するようになります。そこで唱えられたのは、職業的な自己実現でした。
恋愛が怖いのは、自由に見えるから
――男性の鏡映しのような感じでしょうか。
当時の女性たちの場合は「稼…