5歳の長男が保育園から帰るなり、泣き始めた。聞けば、周りの友だちのようには、サッカーやキャッチボールがうまくできないからだという。
「ごめん、おれのせいだ」
札幌市の日高和泰さん(43)は、それ以上何も言えなかった。
外で一緒に遊んであげることができない。公園で10メートルも走れば、脚の力が抜けてずっこける。子どもたちを遊具の上に持ち上げることも難しい。
3年前に難病を発症した。そのとき、長男は2歳、長女は5歳だった。高く抱き上げたり、一緒に走り回ったりした父親の姿を、どこまで覚えてくれているだろうか。
2022年5月、40歳の誕生日の2日後だった。
突然発症、筋肉に力入らず
車を運転中、助手席の妻(30)から「右目がおかしいよ」と言われた。バックミラーをのぞくと、右目のまぶたが垂れ下がっていた。
加齢などによる「眼瞼下垂(がんけんかすい)」と診断されて手術をしたが、症状はおさまらなかった。別の専門医のもとで、2カ月かけて精密検査を受けた結果、告げられた病名は「重症筋無力症」だった。
免疫機能が自分の身体を攻撃することで、脳からの指令がうまく伝わらず、筋肉がすぐに疲れて、力が入らなくなる難病だ。国の医療助成を受ける患者は約2万7千人いる。
はじめはほかに症状もなく、いつも通りの生活を送れると思った。ところが、1カ月で症状は一気に悪化した。
全身を強い疲労感が襲った。特に左半身の肩や股関節に力が入らず、腕が上がらなかったり、立てなかったりした。
病院で作業療法士として患者のリハビリを支える仕事をしていた。病気を知った上司に呼ばれ、「もう患者を安全に車いすに乗せられないよね」と告げられた。
一生の仕事にするつもりだった。だが、患者の家族も不安に思うだろう。休職し、そのまま退職した。
短期間に大量のステロイド薬を点滴し、免疫反応を抑える治療を受けるため、8月に入院した。
夜、ひとり病室で天井を眺めた。
退院したら仕事はどうしよう。子どもが大きくなるまで生きていられるかな――。不安で涙が止まらなかった。
何ができるか、試行錯誤
治療で、症状は一時的におさまった。だが、主治医から「この病気は治らないから、一生付き合っていくしかない」と言われた。妻は「子どもたちのためにも治療に専念して」と言ってくれた。
この体は何ができて、何ができないのか。試行錯誤の日々が始まった。
まずは食事後の皿洗いから始…