政海コンパス

連載コラム「政海コンパス」 政治部長・松田京平

このコラムは…

日本政治のこれからを展望します。過去に学び、永田町はもちろん地方や海外にも視野を広げ、未来を見据える。先行きが読めない時代に、政治という大海原を見渡すための羅針盤となるようなコラムをめざしています。

 静かな公園の一角に、盛岡市先人記念館はひっそりと立っている。市中心部から西へ約3キロ。明治期以降に活躍した盛岡ゆかりの130人を紹介する施設だ。その一人、米内光政の歩みをたどる記念室の展示写真に、私は目を留めた。戦前に首相を務め、海軍大臣として終戦に尽力した人物だ。

 1938(昭和13)年6月19日、東京・小石川植物園。第1次近衛文麿内閣で米内に加え、新たに入閣した板垣征四郎が写真に並び立つ。陸海軍の両大臣を岩手出身者が占めた祝賀会だ。後方に陸軍次官の東条英機。陸軍参謀次長の多田駿と共に縁が深い四将軍を祝い、旧盛岡藩を治めた南部家の当時の当主ら岩手関係者約700人が集った1枚である。

1938年6月19日に東京・小石川植物園で開かれた祝賀会。岩手ゆかりの米内光政海相、板垣征四郎陸相、東条英機陸軍次官が参加している=盛岡市先人記念館提供

 満州事変に続き、前年に日中戦争が始まっていた。朝日新聞は「おらが四将軍」「俺が天下の軍国岩手」の見出しで日々、興奮を伝えている。この3日前にも岩手関係者が集まった朝食会を開いており、その席上、鹿島精一・鹿島組社長からこんな言葉が飛び出していた。

 「肩身が狭かった岩手県は原…

共有
Exit mobile version