連載「100年をたどる旅~未来のための近現代史」日米編③
5月29日、米メリーランド州アナポリスの米海軍士官学校。4月に79歳で死去したリチャード・アーミテージ元国務副長官の追悼式で、親交の深かった加藤良三元駐米大使が語った。
「彼は自らを大戦略家だと考えることはなかった。日米同盟を築き上げる実務家であり、日米同盟史で最も偉大な職人だった。彼ほどの職人に、我々は再び出会えるだろうか」
日本は太平洋戦争で米国に敗れた後、吉田茂首相が導いた経済重視・軽武装の吉田路線を柱とした。しかし、それを支えた日米同盟は冷戦が終わると漂流を始めた。いま石破茂首相が、関税を振りかざすトランプ政権に「なめられてたまるか」と選挙で訴えるほどに関係がきしむ。
日米開戦を避けようとしたジョセフ・グルーや戦後の相互理解に努めたエドウィン・ライシャワーといった駐日大使を始め、米国には知日派と呼ばれる系譜がある。
- 【初回から読む】「日本は決死の行動に出る」警告届かず 日本通だった米大使の悲劇
湾岸戦争、北朝鮮核危機、米兵の暴行事件…同盟は何のため
だが、冷戦後にその代表格であり続けたアーミテージ氏が世を去り、戦争から同盟へと劇的な転換を遂げた日米関係は再び試練を迎えている。アーミテージ氏らは日本の知米派と連携し、何を残そうとしたのか。
冷戦が終わり、ソ連が崩壊し…