連載「100年をたどる旅~未来のための近現代史」憲法編⑤
安達峰一郎は苦悩した。外交官から常設国際司法裁判所の所長になってわずか8カ月。日本が満州事変を起こす。安達は日本の軍事行動を非難する国際社会と母国の板ばさみに陥った。1931年9月のことだった。
国際紛争の解決を図る司法裁に満州事変が持ち込まれたら、日本は極めて不利になる。安達はそう見通した。
翌春、安達は斎藤実首相に書簡を送る。事変が判決に付せられれば「徒(いたず)らに各員の一笑を買うに過ぎざること明白」と指摘し、「政治問題として大きく広く」つまり外交で解決を図るよう訴えた。
判事は母国政府を妻とみなしてはならない――。中立を旨とするそんな安達の信条にはそぐわぬ行動だった。
封筒には「親展」と大書されていた。安達に詳しい九州大学名誉教授の柳原正治さんはそこに注目する。「判事の立場でここまで言っていいのかと思いながら書いたのでしょう」
もう一つ柳原さんが注目する史料がある。知人のジャーナリスト徳富蘇峰や朝日新聞副社長の下村宏らに安達が送った31年11月1日付のオランダ紙「デ・テレグラーフ」の切り抜きだ。両手に刀を持つ武者に素手で向き合う侍の挿絵。武者は軍部、侍は安達だ。「日本における平和の精神が軍部の狂信者たちに打ち勝ちますように」と作者の言葉が添えられている。安達は手紙を付けず、絵だけ送った。沈黙に危機感を託したのだろうか。
満州事変は司法裁には持ち込…