濠に囲まれた朝倉館跡=福井市

 中心には豪壮な天守、周りには武家屋敷や寺院、町家、庶民の長屋がひしめき――。太平の世の町並みは時代劇でもおなじみだけれど、では、群雄が割拠した戦国時代は? さぞ殺伐とした光景かと思いきや、意外と活気や雅(みやび)にあふれていたようで。

北陸の小京都・一乗谷

 戦国期の雰囲気を今に伝える城下町なら、まずは越前(いまの福井県)の一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)だろう。狭い谷間に約2キロにわたって展開し、その歴史的価値と保存のよさで国の特別史跡に指定された、戦国大名朝倉氏の本拠地である。

 巨石や土塁を駆使した「城戸(きど)」と呼ばれる城門が谷の南北を固める要塞(ようさい)都市ながら、1万人ともいう人々が暮らした大都会。公家の富小路資直は、そのにぎわいや屋敷の景観を「都のけしき(景色)たちもをよばじ(及ばじ)」と詠んだ。まさに北陸の小京都であった。

 この華やかな城下町も天正元(1573)年、織田信長の侵攻で灰燼(かいじん)に帰し、越前の中心は信長の家臣、柴田勝家が統治する北庄(現在の福井市中心部)へ。一乗谷は歴史の闇に消え、長らく忘れ去られる。結果、それが町全体をタイムカプセルさながらに保存する幸いとなった。

 かつての栄華が再び現れたのは1967年に始まった発掘で。田んぼの下から次々と当時の遺構が出てきた。以来、半世紀以上にわたって調査研究は続き、170万点もの遺物が出土している。中国の青磁や天目茶碗(ちゃわん)といった茶道具、将棋の駒に能面、石塔・石仏……。医学書の断片まで出てきたのだから驚きだ。

 生活水準も高かった。井戸枠は石製で装飾が施され、プライベートなトイレを備える家々も少なくない。こんな豊かさは庶民層に広く行き渡っていたようで、「都の文化が地方にもどんどん波及した時代。朝倉氏もそれを吸収し、文化力で安定を保つ国をめざしていたようです」と県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館の宮永一美さんはいう。

復元された町並み

 かつての町並みは忠実に復元され、観光客でにぎわう。時代劇のセットさながらの小路に迷い込めば、いつしか気分は中世へ。家の中をのぞき込むと庶民の暮らしの音が、街角からは物売りの声が聞こえてくるようだ。

 この時代、のちの近世城郭の…

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