「大阪では一家に一台、たこ焼き器がある」。そんな話、九州出身の私は都市伝説の類いだと思っていた。ところが、身近な関西人15人に聞いてみると、14人が「持ってます」。逆に、「当たり前やんか」「え、持ってへんの?」と突っ込まれた。みんな、家族や地域でタコパ(たこ焼きパーティー)を楽しんでいるそうだ。
庶民の生活に根づく大阪名物・たこ焼き。いつ、どんなふうに始まったのだろう。
- 戦時下のレシピ、記者も食べた 「防空煎餅」がつないだ明日への希望
生地にタコ きっかけとなった客のひと言
たこ焼きの元祖という「会津屋」本店(大阪市西成区玉出西)を訪ねた。遠藤勝社長(52)が自ら鉄板の上で生地をクルッ、クルッとひっくり返しながら、「はじめにタコを入れたんが、初代のおじいちゃんやったんです」と教えてくれた。
勝さんの祖父、故・留吉さんは福島県会津地方の出身。1933年、大阪・今里で、小麦粉にこんにゃくや肉を入れて焼く「ラヂオ焼き」の屋台を始めた。最先端の家電だったラジオにあやかって名付けられたという説のある、当時流行の食べ物だ。
2年後、客から「明石はタコ…