核兵器禁止条約の第3回締約国会議に駆けつけた倉本芽美さん(右から2人目)。核廃絶運動に取り組む「KNOW NUKES TOKYO」やアジア圏の仲間たちと=2025年3月、米ニューヨークの国連本部、倉本さん提供

 戦後・被爆80年、なおも世界を脅かす核兵器を私たち世代の手でなくしたい――。若者の核廃絶運動団体「KNOW NUKES TOKYO」共同代表の倉本芽美さん(22)は、そんな思いで平和活動に取り組んでいるといいます。広島に生まれ育ち、のちに一人の被爆者と出会い、大学での学びを行動につなげたのは「顔の見える関係」だったそうです。これまでの歩み、いま取り組む活動を聞きました。

 核兵器をなくすことは決して理想論ではなく、核を持つ国で戦火が相次ぐ世界の安全保障にとって差し迫った現実の課題です。大学で平和学を学び、広島・長崎の被爆者と身近に接し、同世代の若者による核廃絶運動にも関わって、はっきりと見えてきました。

■レンズ越しに見えた「1945年の記憶」

 平和への思いが芽生えたのは小学5年の時。8月6日に広島であった写真教室に参加し、原爆ドームのそばを流れる元安川に夕日が差す瞬間を撮りました。ここで多くの命が失われたと知り、ああ、この川の底には1945年の記憶が沈んでいるんだなって。

倉本芽美さんが小5の時、原爆ドーム前の元安川に夕日が輝く情景を撮影した1枚=2013年8月6日、広島市中区、倉本さん提供

■被爆者と友人になり「自分事」に

 広島市立基町高校へ進み、被…

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