【社説PLUS】 社説を読む、社説がわかる
「自国第一主義」を掲げ、同盟国に対しても容赦なく高関税を突き付けるトランプ政権の米国にどう向き合ったらいいのか。政治、経済、国際関係といった側面から、社説は折に触れて考えを示してきました。
米国は戦後の新生日本の歩みに決定的といっていい影響を与えた国です。今回、改めてお届けする「戦後80年と日米」は、80年という長いレンジで、文化や流行、価値観といったソフトな側面にも光をあてながら、両国の関係を見詰め直してみようと試みたものです。
連載「社説PLUS」
毎日のテーマに何を選び、どう主張し、誰にあてて訴えるのか。論説委員室では平日は毎日、およそ30人で議論し、総意として社説を仕上げています。記事の後半で、この社説ができるまでの議論の過程などをお届けします。
【8月27日(水) 社説】
戦後の80年は日本が米国と共に歩んだ年月でもある。
国の成り立ちも人々の価値観も米国とは大きく異なっていた日本は、最初は勝者による敗者への強制によって、次には積極的に、米国のやり方にならっていった。それはほとんどあらゆる分野に及び、日本は米国を唯一の同盟国として現在に至る。
敗者と勝者とが、かくも長く良好な関係を保つとは誰が予想し得ただろう。そしてこの節目の年に、指南役だった米国が、戦後日本のなじんできた姿とはまるで違う様相を見せていることもまた――。
驚き、憧れ、追った
東京はじめ各地を焼き払い、沖縄を焦土とし、広島と長崎には原爆を落として、米国は日本を屈服させた。容赦がなかったが、軍国主義の日本もアジアで蛮行を続けていたのだから、米国は日本の無条件降伏を自由と民主主義の輝ける勝利として喧伝(けんでん)した。
マッカーサーが厚木基地に降り立って占領が始まった。教科書は黒く塗りつぶされ、大日本帝国憲法は国民主権の日本国憲法に生まれ変わり、民主主義の世が到来する。それは実験国家を任じる米国による、日本を舞台にした壮大な実験でもあった。
戦前の生活に日本の人々が感じていた息苦しさ、自由民権運動や大正デモクラシーという底流、そうした変革への下地が日本側にもあって、米国による改革は成功する。制度的変更に増して日本の米国受容に大きな役割を果たしたのが、米国大衆文化だった。
映画に音楽、漫画、戦時にはご法度だった米国文化がなだれ込み、テレビドラマは受像機の普及で各家庭に入り込む。米国の豊かな暮らしぶりは衝撃的で、派手で大きな車は羨望(せんぼう)の的になった。追いつけ追い越せの始まりである。
ウォルト・ディズニーが視聴者に語りかけて始まる「ディズニーランド」は人気番組だった。やがて海外初の本物のディズニーランドが日本に誕生し、その完成度と圧倒的人気で本家をも凌駕(りょうが)する。コカ・コーラにハンバーガー、米国は食も大きく変えた。
先頃のコニー・フランシスやブライアン・ウィルソンの訃報(ふほう)に、思い出をよみがえらせた人は多いだろう。若い人でも曲を聴けば覚えがあるに違いない。ロックにジャズ、米国発の音楽は若者を夢中にさせ、それらなしには日本人の手になる歌謡曲、ポピュラー音楽の隆盛もなかった。
映画にせよ音楽にせよ、娯楽であると同時に、米国の自由と民主主義、個人そして多様性の尊重といった理念を体現してもいた。だから魅力的で、憧れの対象となり、教育的効果を併せ持った。
自由や民主に共感
もちろんこの80年、政治でも経済でも日米間にあつれきは多々あった。安全保障を巡っては、冷戦から対テロ戦争に至るまで米国の時々の都合で対応を迫られ、日本は四苦八苦してきた。こと軍事的な結びつきとなれば強い抵抗が日本の人々にあったし、今もある。在日米軍基地に絡む事件や事故も絶えない。
それでも米国への親近感が総じて高いままだったのは、米国の掲げる自由と民主主義の理念に戦後の日本人の多くが共感してきたからだろう。米国は、日本でも反対運動が高揚したベトナム戦争やイラク戦争のような横暴さと、開かれた社会と大衆文化の魅力とが常にセットの国だった。
ところが、ここに来て米国は肝心の理念を次々に投げ捨てている。トランプ大統領の専制君主然とした言動は、既に枚挙にいとまがない。金科玉条にしてきた合衆国憲法はお払い箱か、法治でなく人治を許すとは何事か、移民の国が移民を敵視してどうするのか、大学を締め上げるとはこれがあの米国なのか――。
元には戻らないのか、それともこれも実験国家の一過程なのかは判然としない。歴史では何十年という単位も「一過性」に含まれる。
変わらぬ原点と価値
日本は核廃絶をめざしている。同時に米国の核の傘のもとにあり、政府が米国に廃棄を直接要求することはなかった。一見両立しがたいものを二つながらに保ってきたことは、唯一の戦争被爆国にして当の米国に頼ってきた戦後日本をよく映している。
核兵器はなくすべきだが、中国や北朝鮮を見れば不安も覚える――そうした声をも包摂し、米国との力関係を勘案すれば、日本政治の対米綱渡りも考慮すべきところはあるだろう。ましてこれほど先が見えない世界情勢にある。
戦争放棄の誓いも核廃絶の目標も見失うことなく、しかしその貫徹や実現には苦難と時間が伴うと腹をくくる。広島県の湯崎英彦知事がサーロー節子氏の言葉を引いて演説したように、旗印を手放さず、「這(は)い進む」。それがこの80年で培った、そしてこの混迷の時に新たにすべき、日本の覚悟ではないか。公民権運動はじめ米国に大いに学んだことでもある。
80年前、米国は日本を変えようとし、理想を託した。米国が変わろうとも、その原点と価値は変わることがない。
この社説ができるまで 論説副主幹・小沢秀行
この社説を提案したのは、外交・安全保障や通商、国際関係といった分野の担当者ではありません。ウォルト・ディズニーの人物記をはじめ、さまざまな企画の中で、米国の社会や文化、日本とのかかわりについて、長年にわたって考えをめぐらし、記事を書いてきた論説委員です。
日米関係を論じる時、それぞれの担当によって、重心の置き所は違ってきます。例えば、外交・安保をカバーしている者であれば、日米安保条約や地位協定、在日米軍基地や「核の傘」といった、同盟の根幹にかかわる問題を軸に考えることでしょう。
それぞれの経験や関心領域に…