米アラスカ州の西端、アッツ島は第2次世界大戦の日米の激戦地として知られ、無人島となった現在も日本兵の遺骨が多数残る。ただ、戦前に住み、強制的に日本に連れ去られた旧島民は戻ることも許されなかった。子孫は「自分たちの被害も知ってほしい」と訴える。日本が連合国への降伏文書に調印し、第2次大戦が終結して2日で80年。癒えない傷が残っている。
「先祖が長年暮らしたのに、アッツ島の名前は戦いの方で知られている。それを変えたい」。アラスカ州アンカレジに住むヘレナ・パガノさん(43)は話す。曽祖父はアッツ島の最後の首長だった。
日本軍は1942年6月、米領のアッツ島に上陸した。42人の島民は強制的に日本へ連れ去られ、戦中は北海道・小樽で抑留された。43年5月に米軍がアッツ島を奪還。日米の戦闘は激しく、合わせて約3千人が亡くなった。特に日本側の被害は大きく、「アッツ島の玉砕」と呼ばれる。
一方、日本でのアッツ島民の…