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県平和祈念公園にある「全学徒隊の碑」の前でガイドの説明を受ける高校日本代表の選手たち=沖縄県糸満市
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 同じ沖縄でも、異なる空気が流れているようだった。

 5日開幕の野球のU18(18歳以下)ワールドカップ(W杯)に向けて2日、高校日本代表と沖縄県高校選抜の壮行試合が、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇であった。

 入場券が売りきれるなど、球場は大にぎわいだった。選手が好プレーを見せるたびに指笛が鳴り響いた。雨天中断もあったが、その間は球場の音楽に合わせて観客が熱唱。陽気で野球熱の高い沖縄県民のおかげで、試合は最後まで盛り上がりを見せた。

 3日、高校日本代表が訪れた糸満市の県平和祈念公園は、前夜の球場とはうって変わって、おだやかな海風がただよっていた。

 「平和の礎」には国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった約24万人の名前が刻まれている。悲しい歴史を目の当たりにした選手たちは、神妙な顔つきで礎に向き合っていた。

 献花を終え、向かったのは「全学徒隊の碑」。県観光ボランティアガイド友の会の高嶺典子さん(76)からは「もし皆さんが当時沖縄に生まれていたら戦地に行っていたかもしれない」と伝えられた。

 主将の阿部葉太(横浜)は、沖縄に来たのが初めてだった。「今まで戦争について詳しく学ぶ機会はなかったが、どれだけ悲惨だったかを知った。野球ができていることに感謝したい」と言葉に力がこもった。

 日本代表が訪れる2日前、U18の米国代表も県平和祈念公園を訪れていた。

 選手のほか、首脳陣やスタッフら約30人が訪問。チームの通訳を務める加藤登志久さん(45)によると、リック・エクステイン監督の呼びかけで、選手たちは「平和の礎」で自分と同じ名前(ラストネーム)を見つけて、帽子に書いた。「監督は『この人たちのために全力で戦いなさい』と言っていた」

 米国の若い選手たちは、日本人の学生ガイドと積極的にコミュニケーションを交わした。「日本でどういうことがあったのかを知らなかった。勉強できて、ためになった。ありがとう」と話したという。

 日本の選手たちにとっても大切なことを学べたはずだ。阿部が「各国で様々な文化がある。共有する機会があるなら、いろんな話をして世界というものを知りたい」と言えば、副主将の岡部飛雄馬(敦賀気比)も「ご飯を一緒の会場で食べることもあるそうなので、話しかけに行って、コミュニケーションを取りたい」。

 戦後80年の沖縄でW杯が開かれることは大きな意味がある。生まれた場所は違っても、平和を願う青年たちの思いは変わらない。

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