内戦が続き、人口の半分が貧困に陥るミャンマー。その田舎町で、挑戦を続ける日本人がいる。ミャンマーに根ざして立ち上げた事業は、不安定な情勢下にある人たちの生活と心を支えている。

 「サヤー!」

 犬井智朗さん(32)が工場に姿を見せると、ミャンマー人従業員が次々と声をかけた。「サヤー」はミャンマーの公用語ビルマ語で、目上の人に対して尊敬の意を込めて使われる呼称だ。

 農家向け有機肥料の製造・販売を手がける「ボーダレス・ミャンマー・ファーティライザー」の代表取締役社長。昨年末、北東部シャン州のナンパンにある工場では、あたりが薄暗くなっても50人ほどが働いていた。

ミャンマー・シャン州ナンパンで、避難民の男性ら(右の2人)と談笑する犬井智朗さん(左から2人目)=2024年12月30日、ミャンマー・ナンパン、笠原真撮影

 肥料の原料である牛ふんなどを発酵させて選別機にかける担当や、完成品を袋に詰める担当など、仕事は様々。作業に集中する人も、地べたで食事をする人もいる、ミャンマーらしい気ままな雰囲気だ。

終わらない政情不安

 長く内戦が続いてきたミャンマーは、成長著しい東南アジアでも発展が遅れた。2011年の民政移管で経済開放路線へかじを切り、新たな市場として国際的な注目を集めたが、21年に国軍によるクーデターが発生。いま、国軍と抵抗勢力の内戦が各地で激化している。

有機肥料の製造工場の中には、原料となる牛ふんなどの袋が山のように積まれていた。休憩中の従業員には笑顔もこぼれる=2024年12月30日、ミャンマー・ナンパン、笠原真撮影

 犬井さんが事業を立ち上げた…

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