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現場へ! 終わりなき育児に希望を(1)

 「復職したらすぐ、記事を出せるように」と書きためてきた「ネタ帳」を開かなくなったのは、長女(17)が1歳半の頃だろうか。私(工藤)はただ、疲れきっていた。

 寝ない。かすかな音で目を覚ます。私が一瞬でも視界から消えれば嘔吐(おうと)するまで泣き叫ぶ。長女を抱いて午前5時に家を出ると、まどろむまで何時間でも街を徘徊(はいかい)した。

 医師は「個性だから」と諭したが、不安は募った。スプーンを持たせても口に持っていかない。歩き始めない。気づけば育児休業が終わる2歳の年度末が迫っていた。

 認証保育所や幼稚園十数カ所に問い合わせたが、発達の状況を話すと、その場で断られる。ようやく「娘の心身を考えれば今は預ける時期ではない」と自覚した。次女を授かって産休・育休とつなぐことができたが、そうでなければ退職しか道はなかった。

 知的な遅れを伴う自閉症との診断が出たのは4歳の時だ。障がい児を受け入れる保育園が見つかり、復職できたが、次の関門が迫っていた。当時、会社が定めていた「子が小学3年の年度末まで」という短時間勤務の利用期限だ。

 入学した特別支援学校にはスクールバスがなく、車で送るしかない。下校後を過ごす「放課後等デイサービス」も、送迎するヘルパーが確保できずに週3日しか通えない。働けるのは、あと何カ月だろう。夕方、退社するたびに残り日数を数えた。

「待機児童」にもカウントされない

 「保育園落ちた日本死ね!」…

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