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輪島から持ってきた工房の木製看板と和宗貴徳さん=2024年9月30日午後3時27分、高松市、内海日和撮影

 今月1日、冬の京都を訪れた。目的地は、特別公開中の大徳寺黄梅院。千利休が豊臣秀吉の希望をくんで作ったと伝わる枯山水の庭園に鮮やかな紅葉が溶け込んでいた。

 その奥にあるふだん非公開の和室で、高松市在住の輪島塗の蒔絵(まきえ)師、和宗貴徳さん(60)の個展「漆芸陽斉」が開かれていた。香合やおわんなど30点以上の作品が並び、観光客が繊細な筆づかいに感嘆していた。和宗さんは「多くの人に助けてもらって、開催できた」と頰を緩ませた。

  • 被災の輪島塗職人がこれまでにないコラボで再起 名刺1枚がつなぐ縁

 和宗さんは16歳で輪島塗の世界に入って以来、石川県輪島市でキャリアを重ねてきた。故郷でもある輪島を離れることになったのは、最大震度7の揺れに見舞われた1月の能登半島地震で自宅が被災したためだ。

 妻の実家がある高松に移った当初、すぐには制作を再開できなかった。

 転機は、1枚の名刺に導かれるように香川漆芸の関係者と交流が始まったこと。制作を再開し、香川漆芸と輪島塗のコラボ作品も完成させた。そんな和宗さんの歩みを10月に記事で紹介した。

 京都での個展は、被災後、親族の紹介で住職と知り合い、準備したものだった。和宗さんは「もう職人は卒業。これからはアーティストとして活動できたら」と語った。個展を開催する前から決めていたことだという。

 何が故郷の復興につながるかと考えた時、「高松から自分が漆の世界を盛り上げることが重要だと思った」。今後は香川県漆芸研究所で香川漆芸の技術を学び、新しい表現方法にも挑戦していくという。

 震災で気候も風土も異なる地に住むことになった和宗さん。取材を重ねる度に、漆文化を後継するという思いの大きさに胸を打たれる。

 打撃を受けた輪島塗をはじめとした漆芸文化が、後世に続くことを切に願い、その過程をこれからも追い続けたい。

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