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写真・図版
秋山和慶さん=ヒラサ・オフィス提供

 的確な音楽作りと温厚篤実な人柄、指導で知られ、アマチュアを含めた多くのオーケストラの育成にも尽力した指揮者の秋山和慶(あきやま・かずよし)さんが26日、肺炎のため死去した。84歳だった。葬儀は近親者で営み、後日お別れの会を開く。喪主は妻圭子さん。今月初めに自宅で転倒、頸髄(けいずい)に重傷を負い、23日に引退を表明していた。

 1941年東京生まれ。桐朋学園大学で斎藤秀雄に師事。1964年に東京交響楽団を振ってデビューし、68年から2004年まで同楽団の音楽監督兼常任指揮者を務めた。

 84年、斎藤の弟子を中心とするサイトウ・キネン・オーケストラの発足に小澤征爾とともに尽力。全国のアマチュア楽団やジュニアオーケストラ、吹奏楽団の育成にも尽力した。広島交響楽団の音楽監督・常任指揮者として、被爆地から発信する芸術団体としての存在感を高め、大阪フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、九州交響楽団の首席指揮者、カナダのバンクーバー交響楽団の音楽監督などを歴任した。ニューヨーク・フィルハーモニック、シカゴ交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団などに客演した。現代音楽の優れた解釈でも知られ、ラッヘンマン「マッチ売りの少女」(00年)やジョン・アダムズ「エル・ニーニョ」(03年)などの新作オペラの日本初演を成功させた。

 74年度サントリー音楽賞、94年度芸術選奨文部大臣賞。14年文化功労者。12年から日本指揮者協会会長。洗足学園音楽大などで後進の指導にあたった。鉄道模型の収集家としても知られた。

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