盛岡市にある「赤武(あかぶ)酒造」は、若手杜氏(とうじ)のつくる酒として近年、全国でも注目されている酒蔵だ。1896(明治29)年に海沿いの岩手県大槌町で創業したが、2011年の東日本大震災による津波で酒蔵は流失。廃業の危機を乗り越え、震災後にできた銘柄「AKABU」が人気を集める。その仕掛け人、杜氏・古舘龍之介さん(32)が追い求める「夢」を聞いた。
夢をかなえた、夢に向かう、夢を与える……。そんな東北にゆかりある人たちの活躍を、ロングインタビューでお届けします。
復興支援で売れるのに、売る酒がない悔しさ
――現在、赤武酒造での酒造りを中心的に担っています。杜氏になることは幼い頃からの「夢」だったのでしょうか。
「いやいや、全然考えていなかったです。酒造りを学べる東京農業大学に進学しましたが、高校生の時はお酒がもちろん飲めないので、興味がなかったですし。いずれどこかのタイミングで、大槌に戻って家業の酒造りをやるのかな、ぐらいのイメージしか頭になかったです」
――そんななか、2011年に東日本大震災が起き、酒蔵や実家が流失し、赤武酒造の従業員も亡くなりました。当時、大学1年生でした。
「1週間ほど、何が起こったか分からない状態でした。父(社長の古舘秀峰さん)から『今は来られる状況じゃない』と言われ、岩手に戻ったのは1カ月後でした。大槌は知っている建物も家や酒蔵もない。頭は真っ白でした。全く別のまちだと錯覚してしまう」
「今でも、同じです。酒蔵は盛岡にあるので、復興してきたまちを知らない。大槌と言われてぱっと思い出すのは、昔の街並みなんです」
――存続か、廃業か。社長は苦悩の末に取引先に励まされ、酒造りを続けることを決心。13年10月、盛岡市に「復活蔵」が完成し、自社での酒造りを再開しました。
「大学3年からお酒の勉強を始め、いろんな日本酒を飲み始めました。東京には全国からおいしいお酒が集まるので、飲み比べたりして。やっぱりお酒が好きだな、と思って」
「復活蔵ができたのは、大学4年の時でした。どのタイミングか忘れましたが、『何かやらないと』と思ったんです」
「酒蔵の息子や娘たちは、どこか別の酒蔵で修行してから、家の蔵に戻ることが多い。だけど教授に相談したら『すぐに帰って、お父さんを手伝った方がいい』と。そう言われたことが決心したきっかけです。卒業後、東京で酒造りの研修を受け、14年秋に岩手に戻りました」
――杜氏に就いて、これまでの銘柄「浜娘」ではなく、新しい銘柄「AKABU」を打ち出しました。
「これまでずっと南部杜氏にお願いして、酒をつくってもらっていたのですが、父からは『お前に任せるよ』と言われました。自分と同じ20代に飲んでもらいたいと思っていた。昔の日本酒といえば、酒の香りが強く、辛口で「玄人好みの酒」というイメージ。それよりも、若い人が好む果実のようなフレッシュな甘さを目指しました。銘柄もアルファベットで、ラベルも奇抜にして」
――なぜ新銘柄を打ちだそう…