広島赤十字病院の初代院長だった竹内釼(けん)医師(1890~1974)の足跡を伝える展示会が、広島市東区の広島県医師会館で開かれている。遺族が寄贈した手帳からは、自らも被爆しながら、院長の責務を果たそうとする様子がうかがえる。
「建物ノ放射能測定」「屋上日赤旗」――。本来は出納帳として使われるA5判の手帳に、様々な言葉が走り書きされている。
来訪者と思われる記述もある。持ち込んだ医薬品で被爆者を助けたスイス人医師のマルセル・ジュノー博士(1904~61)、原爆投下2日後に広島へ入った旧理化学研究所の仁科芳雄博士(1890~1951)らの名前が記されていた。
原爆投下後、竹内医師が備忘録として使っていたとみられる手帳。昨年7月、遺族のもとで見つかった。
寄贈を受けた県医師会の松村誠会長(74)は、「被爆者を救護し、被爆の惨状を伝え残すという、ヒロシマの医師の原点を思い起こさせてくれる」と話す。
竹内医師は福岡県出身。現在…