戦時中、日本本土への米軍による空襲により、50万人ともいわれる市民らの命が奪われた。原爆投下を除く爆撃作戦の大半を指揮したカーチス・ルメイ氏には戦後、日本政府から勲章が授けられている。戦時中は「鬼畜」と日本人から憎まれた米軍人に、戦後なぜ勲章が贈られたのか。

 欧州戦線でドイツの都市爆撃を指揮していたルメイ氏は1945年1月、日本に対する爆撃機部隊の司令官に着任。東京をはじめとする日本国内各地の空襲を指揮した。

 当初は前任者にならい、兵器工場など軍事施設のみをねらうピンポイント爆撃を行った。しかし成果が不十分だったため、市街地に焼夷(しょうい)弾を大量投下する無差別爆撃に切り替えた。

 当時の部下の回想記によると、ルメイ氏は東京攻撃の直前、指揮官らにこう指示し、下町への爆撃を正当化した。「民間人にある程度の死傷者を出すことなく戦争に勝つことはできない。兵器を製造する日本人の労働者も彼らの軍事機構の一部だ」

 45年3月10日未明の東京大空襲では、一夜で10万人以上が犠牲になった。その後も大型爆撃機B29の大編隊が大阪、名古屋をはじめ日本各地の人口密集地に焼夷弾を投下。都市部の無差別爆撃での犠牲者は、原爆での死者を含めて50万人以上ともいわれる。

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「戦争犯罪人として裁かれる」 空襲後に漏らした一言

 当時ルメイ氏の部下で、後にベトナム戦争時の国防長官を務めたロバート・マクナマラ氏は、ドキュメンタリー映画「フォッグ・オブ・ウォー」の中でこう証言している。――東京攻撃から戻ってきた兵士らに、ルメイ氏は言った。「我々が戦争で負けたら、戦争犯罪人として裁かれるな」

 日本でも当時から、「ルメー」の名は知れ渡っていた。朝日新聞東京本社版は3月13日付1面に「鬼畜ルメー暴爆断じて怖れじ」との見出しで、空爆を指揮したルメイ氏を「鬼畜のごとき異常性格者」と非難。6月7日付ではルメイ氏の顔写真を掲載し、「焼ける東京の姿に舌舐(したな)めづりをして狂喜してゐるに相違ない」と記している。

「鬼畜ルメー暴爆断じて怖れじ」との見出しで米軍による東京大空襲を非難する1945年3月15日付の朝日新聞東京本社版

 戦後、ルメイ氏は米空軍トップの参謀総長にのぼりつめ、ベトナム戦争での北ベトナム爆撃(北爆)など強硬策を主張した。日本政府が勲章を授けたのは、退役する2カ月前の64年12月に来日したときだ。

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