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 「あまさん」として親しまれる女性の漁業者「海女(あま)」。簡素な道具のみを持ち、素潜りで海底の貝や海藻などを採ってくる。起源ははっきりしないが、専門家によると数千年の歴史はあるのでは、といい、日本と韓国にしかいない。そんな海女漁がいま、存続の危機に瀕(ひん)しているという。三重と福岡の「現場」を訪ねた。

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舟で漁に向かう海女性たち。漁場に着くと次々に海へ飛び込んでいった=三重県鳥羽市、鬼室黎撮影

 7月下旬、猛暑のなか向かったのは、三重県鳥羽市、志摩半島の東端にある国崎(くざき)町。海女漁への同行取材を許されたのだ。鬼室黎(きしつれい)フォトグラファー(52)とともに赴いた。

 国崎を選んだのには訳がある。

 伝承によると、約2千年前、垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が、伊勢に皇大神宮(内宮)を鎮座した後、天照大神に供える「神饌(しんせん)」を探し志摩の国を巡っていた。このとき、国崎の伝説の海女「おべん」が差し出したアワビのおいしさに喜び、毎年神宮の神饌として、薄くむいて乾かした「熨斗鰒(のしあわび)」を奉納させるようになったのだという。

 国崎町内会の津曲(つまがり)博之会長(68)は「熨斗鰒は、いまも年3回、伊勢神宮に納めています」。1111年に書かれた「国崎神戸文書(かんべもんじょ)」にも、国崎から伊勢神宮へ熨斗鰒が奉納された量などの記述が残っている。

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採れたてのクロアワビ(手前三つ)とアカアワビ=三重県鳥羽市、鬼室黎撮影

 国崎町には伝説の海女「おべん」をまつる「海士潜女(あまかづきめ)神社」もある。おべんの子孫とされる辻清道さん(70)も、近くに住んでいる。

 午前10時前、鳥羽磯部漁協国崎支所理事の森田透さん(62)の操縦する船に乗せてもらい、6人の海女たちと一緒に、海へ出た。海女たちは、漁の準備をしながらも、にぎやかに談笑している。

 すさまじい日差しが照りつけ…

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