Smiley face

 千里ニュータウン出身の文筆家、塩谷舞さん(36)は総フォロワー数15万人を超えるSNSやウェブに、独自の視点で文章を書き続けています。生まれ育った街への思いは、年齢や経験を重ねるごとに少しずつ変化していったと話します。

写真・図版
千里ニュータウンの竹見台地区(手前)。奥には大阪中心部の高層ビル群が見える=2017年8月、大阪府吹田市、朝日新聞社ヘリから、井手さゆり撮影

 千里ニュータウンで生まれ育ちました。1960年代の開発当初に父方の祖父母が引っ越してきたそうです。母も子どものころから家族で千里山に住んでいたので、両親から「70年の万博には毎日のように行っていた」と、よく聞かされました。

 私が小学生のころは、千里ニュータウンの人口が減っていた時期でした。区画ごとに設けられた公園は、ほかに遊んでいる子どもも少なく、自分たちだけの遊び場という感じでした。

 中野さんという近所のおじいちゃん、おばあちゃんは、孫のようにかわいがってくれました。今思えば、毎日がハロウィーンのように甘やかしてくれましたね。ご近所さんみんなが昔からの顔見知りというコミュニティーの中で暮らしていました。

思春期で変わった街の印象

 千里ニュータウンの住宅地に…

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