新潟水俣病の被害者を長年にわたって支援してきた弁護士の中村洋二郎さん(89)が今月8日、病気のため死去した。活動をともにしてきた被害者や支援団体からは、惜しむ声が上がっている。
洋二郎さんが議長を務めた新潟水俣病共闘会議のメンバーが27日に記者会見を開いた。議長代行で、被害者らが国や原因企業に損害賠償を求めた「ノーモア・ミナマタ2次訴訟」新潟訴訟の弁護団長を務める中村周而弁護士は「国や原因企業に対して常に適切な発言をし、頼りになる存在だった。先生の遺志を継いで全被害者の救済のために頑張りたい」と決意。高野秀男幹事長は「熱血漢で万年青年でありながら、きちんと物を申す指導者だった」と振り返った。
「水俣病問題は発生から半世紀を経てなお未解決のままであり、高齢化した多くの患者が放置され苦しみ続けている。これは驚くべき現実であり、世界の恥とも呼ぶべき国の失態である」
新潟訴訟が提起された翌年の2014年、朝日新聞のオピニオン面に洋二郎さんの投稿が掲載された。
それから11年。新潟訴訟は先行して審理された原告47人に対する地裁判決が昨年4月に出たが、原告、被告とも控訴した。控訴審は同12月に始まり、地裁でも残る原告102人分の審理が続いている。その間、原告は34人が亡くなり、平均年齢は75歳を超えた。
「国が無為無策のままダンマリを続けることはもはや許されない。一日も早く救済の具体策を打ち出す義務がある」。投稿はこう続いている。10年余り経っても、憂えた状況は変わっていない。
亡くなる4日前の3月4日には、新潟県庁で行われた被害者団体と環境省との実務者協議に参加していた。会合を非公開とした同省の方針に対し、内容を多くの人に知ってもらいたいとして強く反対したという。結果、冒頭部分だけ報道陣に公開された。
新潟水俣病の公式確認から今年で60年。洋二郎さんは公式確認の2年後の1967年に提起された最初の訴訟の途中から、弁護団に参加していた。現在、新潟訴訟の原告団長を務める皆川栄一さんは「常に我々の先頭に立ち、勇気をもらっていた。裁判に区切りがつくまで元気でいて欲しかったが、いまは感謝の気持ちしかない」と話した。