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 終戦後の混乱期、作家の故・西村滋さん(2016年死去、享年91)は、戦争孤児を受け入れた東京都内の施設職員として数年間働き、子どもたちと生活をともにした。

 西村さん自身、幼くして父と母と死別した孤児だった。終戦時は20歳になっていたが、上野地下道で寝起きしていた時期もあったという。

写真・図版
故・西村滋さん(家族提供)

 「鼻の奥までしみついてしまいそうな匂い。人間であることがイヤになってしまうような匂い」

 西村さんは著書「地下道の青春」(1988年)の冒頭で、人がひしめく地下道に充満する「すえた匂い」について、こう表現している。

 自らの経験と、施設で出会った子どもたちの心の内を重ね合わせながら、西村さんは戦争孤児を終生のテーマとし、数多くの作品を残した。

 空襲で奪われた母をしのび、月1回は施設を脱走し、隅田川・言問橋のたもとに向かう――。

 「雨にも負けて 風にも負けて」(75年、日本ノンフィクション賞)で紹介される戦争孤児たちの姿のなかには、「脱走常習」の12歳少年のエピソードがある。

 やせた少年が食べ物も持たずに、東京都世田谷区から隅田川まで、長い道のりを歩いていく。職員が隅田川まで連れ戻しにいくと、少年はぼんやりと川面をながめていたという。

 ただ、上野などから送り込まれてくる子どもたちとの日々は、そうした感傷的な話だけでは終わらなかった。

「地下道では生きるための凄惨…

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