江戸時代、現在の京都市山科区にあった茶屋で提供され、旅人らに親しまれた「道晴餅(どうはれもち)」がよみがえった。レシピが残っておらず、地域の人たちが江戸時代の絵をもとに復活させた。3月末のイベントで振る舞う。メンバーは「地域の新たな名物に育てたい」と意気込む。
道晴餅は、江戸時代の街道沿いの名所旧跡や特産品などを紹介する「東海道名所図会」で、「道晴茶屋といふ餅の名物あり」と記されている。「木曽路名所図会」には、茶屋のにぎわいと餅を味わう人たちの姿が描かれている。
この餅に着目したのが、スイーツを通じたまちおこしに取り組む「山科スイーツプロジェクト」のメンバーだ。郷土史家や地元の和菓子店などの協力を得て、餅の復活に取り組むことにした。
プロジェクトによると、この餅は現存せず、レシピも残っていない。そこで、「木曽路名所図会」の絵を手がかりに、味や作り方、食べ方などについて意見を出しあい、和菓子店「萬屋琳窕(よろずやりんちょう)」の店主の戸島健一朗さん(39)がレシピを考えた。
現代版の道晴餅は、上新粉で作った生地を串に刺して焼き、西京みそと黒砂糖で作ったタレをつけて仕上げる。「和菓子の基本を生かしたシンプルなものにした。子どもから年配の方まで、おいしく味わってほしい」と戸島さん。
3月8日には試作の餅ができあがった。餅作りに協力した郷土史家の浅井定雄さん(74)は「江戸時代には、東海道や小関越で峠を越えて来た人、これから越えようとする人も道晴餅を食べたのだろう。旅人をもてなす、山科の人の温かい心が表れている」。
プロジェクトの代表で、カフェオーナーの八山幸代さん(51)は「山科にこんなお餅があったんだと想像しながら食べてほしい」と話す。
29、30日に本願寺山科別院(京都市山科区)で開く「山科スイーツフェス」で振る舞う。両日とも限定100個。問い合わせはプロジェクトにメール([email protected])で。