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写真・図版
色丹島・斜古丹の捕鯨コンビナートでのクジラの解体作業=1952年、国後島の地元紙「境界にて」電子版より

 日本人住民と旧ソ連からの移住者が混住していた戦後の北方領土・歯舞群島の志発島(しぼつとう)(ロシア名・ゼリョーヌイ島)で、小舟で沖合に流されたロシア人の子供たちを日本人漁師が救った1947年秋の出来事について前回、この欄で書いた。

 救われた子供たちの一人、リュドミラさんの一家は49年に父親の転勤でやはり北方領土の色丹島に移り、その後、さらに極東のウラジオストクに移っている。

 なぜなのか。56年に日本とソ連が結んだ日ソ共同宣言で平和条約締結後の歯舞、色丹二島の日本引き渡しが約された。その後で、ソ連当局が二島のソ連人住民に対し、かつて日本人住民に行ったのと同じような退去措置をとったからである。

 この措置について北海道大学スラブ研究センター(現スラブ・ユーラシア研究センター)元教授の荒井信雄さん(77)=札幌市=が、サハリン州公立公文書館の所蔵文書を基に詳細な研究をしているので紹介したい。

 研究によると、まず歯舞群島…

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