首相就任後、初の記者会見をする田中角栄首相=1972年

 私が長年取材してきた外交・安全保障の世界には、裏金ならぬ「裏安保」という言葉がある。その昔、田中角栄元首相が口にしていたと聞くが、今ではほとんど使われることもない。

 相手が攻めてきた時、武力で日本を守るのが「表安保」で、友好を深めて戦争を回避するのが「裏安保」とされる。表が日米安保だとすれば、裏が日中友好というわけだ。

 戦後、池田勇人元首相が、後に首相になる田中氏、大平正芳氏、宮沢喜一氏といった世代に「俺たちは『表安保』をやるから、君たちは『裏安保』をやれ」と伝えたという。中国を完全な敵には追いやらず、対立と分断を避ける保守本流の知恵だろう。

 源流には、戦前、軍事を頼んで植民地などの勢力圏を拡大する「大日本主義」に対し、軽武装の貿易立国をめざす「小日本主義」を唱えたジャーナリスト、石橋湛山(戦後に首相)の思想もあった。その延長線上に、田中氏や大平氏が成し遂げた1972年の日中国交正常化がある。

 「日本は日米安保条約を維持しつつ、中国と友好関係を保つという政策以外の選択肢がほとんど考えられない」

 現実主義の国際政治学者として知られた高坂正尭氏が自著「平和と危機の構造」にそう書いている。冷戦が終わり、ポスト冷戦が過ぎた今も、基本構造は変わらない。日本の自立と安全保障は、表裏のバランスの上に成り立っている。

 ところが今、「表」の日米が…

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