2日のオープニングセレモニーに参加したパキスタン代表のジャン・ハスネン(中央)

 台湾に、青森・三沢高のTシャツを着た選手がいた。

 2日、台北で開幕した野球の第13回U18(18歳以下)アジア選手権。パキスタン代表のジャン・ハスネン投手(18)は、小学生のころから日本で野球に打ち込んできた。

 両親ともパキスタン人。父の仕事の関係で幼い頃から何度も日本に滞在していた。父が日本で中古車販売の会社をおこしたこともあり、小学4年から青森県に移住し、現在もおいらせ町で暮らす。

 三沢では1年生の秋から4番を任され、2年生の秋からはエースの肩書も加わった。

 身長170センチ、体重102キロ。打っては高校通算16本塁打、投げては最速133キロで、カーブやチェンジアップなど6種類の変化球を操る。大黒柱としてチームを引っ張ったが、今夏は青森大会2回戦で弘前学院聖愛に敗れた。

 「自分の力を試したい。国際大会でしかできない経験、出会いがある」と、この大会への参加を決めた。サポートに恵まれた日本代表とは違い、青森からの渡航費は自己負担。両親の理解を得て来た台湾で、しかし、残酷な現実が待っていた。

 台湾で待っていたのは米国とカナダから来たわずか5人のチームメートだった。パキスタン国内から来るはずの選手たちはいなかった。一緒に届く予定だったユニホームも当然なかった。

 国内の選手とのやりとりや、現地入りしていたパキスタン野球連盟のメディアマネジャーの情報から、国内の選手たちは同国政府から「外交関係のない台湾に渡航はできない」と通達されたと知った。

 タイと戦うはずだった2日の初戦は、人数がそろわずに不戦敗になった。同日夕のオープニングセレモニーには6人で参加したが、その後、全試合を棄権し、没収試合で不戦敗扱いとなることが決まった。

 「ギリギリまで待つ。諦めない」と必死に前を向いていたジャンだが、棄権の決定を受け、「悔しいでは片付けられない。でも、来たことは後悔していない」と話した。ほかの5人のメンバーとは、いつかフル代表で一緒にやろうと約束したという。

 「今後、こういうつらい経験をする選手が減ってほしい」とジャン。パキスタンでは、国技のクリケットと違い、野球は発展途上。だからこそ、この大会で活躍し、認知度を上げたい思いもあった。今回はそれがかなわなくなった。

 そんなジャンに日本代表チームから粋な計らいがあった。5日の日本の公式練習に招待されたのだ。日本代表チームの団長を務める宝馨・日本高校野球連盟会長は「同じ日本の高校生同士、いい機会になれば。ゆくゆくはパキスタンの野球振興につながってほしい」。ジャンも「こんなチャンスはもうないかもしれない」と喜んだ。

 日本の大学でも野球を続ける予定だ。将来の夢はプロ野球選手になること。そして、もう一つ、今大会の経験から思いを強くしたことがある。

 「どんな大会にも、スムーズに出場できるよう、運営側にも回りたい」(台北=大坂尚子)

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