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2018年に朝日新聞の取材を受けた際の孫玉琴さん=2018年12月14日、中国黒竜江省方正県、平井良和撮影

 中国東北部黒竜江省方正県の農村の一角に、屋根が大きくゆがみ、壁の塗装がぼろぼろにはがれ落ちた小さな平屋がある。ここで畑仕事をして一生を過ごした女性が昨年2月、「祖国を見てみたい」という夢をかなえられないまま亡くなった。

 女性の名前は孫玉琴さん。彼女のいう祖国とは日本だ。1945年8月生まれという彼女は、終戦前後の旧満州(中国東北部)の混乱期に日本人の両親と死に別れ、中国人の養父母に育てられた「残留孤児」だと主張していた。

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 戦後80年となったこの夏、孫さんを支援してきた長野県の飯田日中友好協会長の清水可晴(よしはる)さんらが方正県を訪れ、孫さんの自宅前で手を合わせた。

 「日本に帰ってきてほしかった」。清水さんはそうつぶやいた。

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孫玉琴さんの自宅前で黙禱(もくとう)をする飯田日中友好協会の清水可晴会長(中央)、満蒙開拓平和記念館の寺沢秀文館長(左)=2025年8月28日午後、中国黒竜江省方正県、岩田恵実撮影

養母が語った「1945年の生い立ち」

 孫さんの訃報(ふほう)を私が聞いたのは今年の春。孫さんのことを取材したいと思ったのは、養母が残したという手紙の話が頭から離れなかったからだ。

 孫さんは2018年に朝日新…

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