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五輪アフリカ・オセアニア予選を戦うサモア代表の赤沢岳(左)=世界レスリング連合(UWW)提供
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 今夏のパリ五輪レスリング男子フリースタイル65キロ級には、日本人の両親のもとに生まれた赤沢岳(34)という選手がサモア代表で出場する。小さい頃からの夢だった五輪でメダルをとるために、昨年冬に国籍を変えてたどりついた舞台だ。

 ――なぜ国籍を変えようと思ったのですか。

 「2013年に日大卒業後、修行のためレスリングの強豪国ロシアに行きました。ロシアの選手は五輪に出るためにバンバン国籍を変えます。練習のためロシアに戻ってくると、『岳、国籍変えて人生が変わったよ』なんて言われました」

 「ある時、仲の良かった選手の姿が見えなかった。他の選手に聞くと、カザフスタンに国籍を変えたと聞いた。だから僕が『あいつ、カザフスタン人になっちゃったのか』と言ったら、他の選手が激怒しだして。『俺たちはファミリーだ。たかが紙切れ一枚、パスポートが変わるだけのことでおまえは何を言っているんだ』と」

 「かっけえ(かっこいい)!って思いました。国籍を変えても、少なからず僕の周りにはこういう考えの人がいるのか。それなら僕も変えるのもありだなと。そうして17年にサモアに行きました」

 ――日本代表になる道を考えなかったのですか。

 「当時は最軽量級の57キロ級だったけど、周りが強すぎた。リオデジャネイロ五輪銀メダルの樋口黎、東京五輪代表になった高橋侑希、一つ上の階級には東京五輪で金メダルをとった乙黒拓斗がいた。日本を飛び出ないと五輪出場の可能性はゼロだと思った」

 ――国籍を変えることに対する風当たりは?

 「誰もやらないことをやると否定する人が必ずいます。ロシアに行った時もそうでした。見たことがないから、人は『無理だよ』とかって否定するんです。でも、それはもう分かっていること。両親は『いいね、面白いね』といって各国の国籍取得の条件を調べてくれた。賛否両論あると思うけど、応援してくれる人が少なからずいればいいなと僕は思う。ゼロは寂しくなっちゃうけど」

 ――ご両親も理解があったのですね。

 「両親から自分がやることを止められたことがありません。勉強しろと言われたこともない。人と違うことをしろと言われながら育ちました」

 「ランドセルも1人だけ、ヨーロッパの児童が持つような横型タイプでした。ブリーフも周りは白なのに僕だけ紫色。健康診断の時恥ずかしかったけど。自然と人がやらないことをやるという考えになっていった」

 ――国籍変更先になぜサモアを選んだのですか。

 「レスリングの大陸予選は四つに分かれています。(勢力図を考えた時に)オセアニアはあまり聞かない。そこに活路を見いだしました。たまたまサモアは、中学の英語の先生がJICA(国際協力機構)隊員として柔道を教えに行っていた。授業中によくサモアの話をしていたなと思い出した」

 「早速その先生に連絡した。レスリングについて詳しくはわからないし、すでに帰国から何年も経っていて、連絡先のわかる知り合いはいないと。でも何かあった時のためにと当時の教え子の名前を3人教えてくれました。そのメモを手にサモアに行きました」

 ――すぐにレスリング関係者に会えましたか。

 「ロシア語は話せますが、英語は話せません。ドキドキしながら町中で通りすがりの人に『レスリング、レスリング』と声をかけても、みんな『は?』という反応でした。JICAの支所を訪ねると、レスリング協会や教室は聞いたことがないと言われた。1週間ぐらいで、お先真っ暗になりました」

 「駄目で元々でメモを見せ…

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