トーキンボさん(左端)。京大の探検隊の一員から、戦後にもらった写真という=大場昭蔵さん提供

 「トーキンボさん」はいつも、果てまで続く山並みから馬でやってきた。

 「彼がいなければ、私たちは生きて帰れなかったかもしれません」。大場昭蔵さん(93)=札幌市=はそう振り返る。

 大場さん一家は1944年、山形県から旧満州の三河(さんが)地方(現・中国内モンゴル自治区フルンボイル地域)に移り住んだ。国策として進められた農業移民「満蒙開拓団」の一員だった。

冬は零下50度に

 三河地方は、山脈に囲まれた広大な盆地。ソ連国境に近く、冬は零下50度を下回る。

 トーキンボさんは月に1~2回、開拓団に現れた。背が高く、筋肉質。モンゴル風の服に、軍人のような帽子をかぶっていた。

 山中で暮らす少数民族「オロチョン」だと聞かされていた。日本語もでき、当時13歳だった大場さんはあいさつを交わした記憶がある。いつもノロジカの肉をぶら下げ、小麦粉と交換して帰っていった。

戦火を逃れようと

 状況が一変したのは45年8月9日。ソ連の侵攻が始まり、開拓団に戦車が迫った。

体験を語る大場昭蔵さん=2025年7月8日、札幌市、新谷千布美撮影

 戦火を逃れるため、逃避行が始まる。その前に立ちはだかったのは、東西200~300キロもの幅がある山脈「大興安嶺(だいこうあんれい)」だった。

 集団自決を唱える人もいた…

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