篠原聡子さんが愛用のリュックに入れる水筒とスマホのカバーは赤い。黒いリュックの中に赤で、「探したときに見つけやすいでしょう」と笑う=東京都文京区の日本女子大学、村上健撮影

 日本女子大学の学長、篠原聡子さん(66)は、建築家、同大の教授でもある。建築家を志す原点は、実家だった。そして学生とともに実地調査をして、そこで得た知見を実際の設計や大学の改革につなげる流れを生んだ。どこでも一緒だったのは、15年ほど愛用する一品だという。そこから語ってもらった。

はしごを上り、海外の山の中でも

 建築家、教授、学長という「三足のわらじ」をはいています。建築家として現場のはしごを上るのも、教授として海外の山の中で住居を調査するのも、この真っ黒のリュックと一緒です。15年ほど、それこそ365日と言えるくらい背負っています。両手が自由になって、行動を制限されないのが重要。黒い服が多いので、色をそろえました。必ず入っているのは水筒、チョコレート、タブレット端末。ちょうどいいサイズです。

 建築家を志す原点は、実家の築130~140年という農家。5人の家族には大きすぎる。不思議でした。ところが、お祭りの時期や農繁期に大勢の人が来て、かまどの大鍋でそうめんをゆで、土間でごはんを食べているのを見て、違和感が消えます。こういう暮らしが前提の家なんだと。自分が建物をつくって、住む人の生活にかかわるのは楽しいだろう――。

 女性の就職は4年制よりも短大が有利とされる時代に、大学院にも進みました。自分が頑張ったら何とかなる建築の世界で人生をデザインしようと腹をくくったわけです。「設計者を育てたい」と指導してくれた先生が1997年に亡くなります。そこで、設計事務所を主宰する経験を生かす「実務家教員」として招かれました。

 受け持った学生はワンルームマンションに住んで「半径200メートル以内で私が挨拶(あいさつ)する人はいない。変だと思う」と言います。単身者住居を調べたら、集合住宅とはいえ、各人が小さな穴に住んでいるだけ。格好いい建物をつくるだけでは何も起きない。実家の農家のように人が集まって息を吹き返す住まいをつくりたくなりました。

 それがシェアハウス。でも、つくって終わりじゃなく、運営までやろうと決断をしました。若い人や海外の人などが入居することで、エリアの魅力があらためて見つかる。手ごたえがあります。

 2020年、学長に就きます。当時の家政学部長に「これもデザインよ」と後押しされました。大学のデザインです。

経済学部(仮称)をつくる構想も

 具体的には、学部や学科の再…

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