奈良や大阪には、宮内庁が管理する天皇陵がたくさんあります。ただ、その被葬者をめぐっては、宮内庁の見解と学術調査に基づいた研究者の見解との間で混乱もあるようです。そんな日本特有の「陵墓」をめぐる事情について、奈良県大淀町教育委員会学芸員の松田度さんに紹介していただきます。
学術界と宮内庁で異なる見解
毎年100万人を超す初詣客でにぎわう、畝傍山南東の麓に位置する橿原神宮(奈良県橿原市)は、皇室の初代・神武天皇を祭神としています。その境内の北方に、宮内庁の管理する神武天皇陵があります。
この神武天皇陵が現在地に定められたのは幕末の文久3(1863)年、橿原神宮の創建は明治23(1890)年のことです。19世紀につくられた「始祖陵」といっていいでしょう。
「皇室典範」には、「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓」と記され、宮内庁はこれをあわせて「陵墓」と称しています。日本の国有財産のなかで、宮内庁が皇室用財産として管理する「陵墓」とその関連地は総計899件(460カ所)。そのうち、古墳時代(3~8世紀)の「陵墓」は約150件。被葬者を特定できない古墳が大半ですが、宮内庁はそれを歴代の「陵墓」にあてています(治定〈じじょう〉といいます)。
その場合、どんな問題がおこ…