「こんにちは!日本語をすこし話せますよ」
2001年夏、中国シルクロードを周遊するバスツアーの車内。
父、母、私(記者)、弟の4人で横並びに座っていた私たち一家に、前のシートから日本語で話しかけてきた中国人のおばあさんがいた。日本からの参加者がもの珍しかったのかもしれない。
当時小学4年生だった私が、予想外のことにポカンとしていてもお構いなし。笑顔で「一曲聴いてほしい」と、立ち上がって歌い始めた。
♪ うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川……
高く、伸びのある歌声。ほかの乗客たちから大きな拍手が巻き起こり、私もつられて手をたたいた。
ところが、ふと隣の父に目をやると、横顔は汗ばみ、少し赤くなっていた。そして、頭を下げながら中国語でこう繰り返した。
「不好意思(申し訳ない、お恥ずかしい)」
いつもおしゃべりで陽気なはずの父の変わりようを前に、子ども心に驚いた。
おばあさんは、父に落ち着くよう声をかけながら、中国語でこう打ち明けた。
私(33)が記者として働き始めた後も、ずっと頭の片隅にあった23年前の夏。おばあさんは歌った後、動揺する父にある言葉をかけます。今年、私は実家のある東京への転勤を機に、父に当時のことを聞いてみました。
「実は、日本語の歌をうたっ…