手をつないで原爆死没者慰霊碑へ献花に向かう小倉桂子さん(左)と歌手のパティ・スミスさん=2025年4月28日午後2時36分、広島市中区、上田潤撮影
広島平和記念資料館で対談する小倉桂子さん(右)と歌手のパティ・スミスさん=2025年4月28日午後4時17分、広島市中区、上田潤撮影

 「パンクロックの女王」として知られる米国の歌手で詩人のパティ・スミスさん(78)が4月28日、広島市を訪れ、被爆者の小倉桂子さん(87)と対話した。父は日本軍と戦った兵士だったというパティさんは、被爆者に何を語ったのか。

 パティさんは1946年、シカゴの労働者階級に生まれた。ボブ・ディランにあこがれ、工場で働きながら詩を書いた。71年に詩人としてデビュー。アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズらビート詩人・作家と交流し、影響を受けた。75年に初のアルバム「ホーセス」(Horses)でニューヨークパンクを代表する存在に。2016年にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した際、代わりに授賞式に出たことでも知られる。

 今回、京都・東京での詩の朗読公演に合わせて広島を訪問。友人を介して知り合った小倉さんと一緒に広島平和記念公園を訪れて献花し、原爆死没者慰霊碑に深々と頭を下げた。

 その後、平和記念資料館地下であった小倉さんとの対話では、父の思い出に触れた。第2次世界大戦中、米兵としてフィリピン、ニューギニアで日本兵と戦った父は広島と長崎への原爆投下を知って涙が止まらず、生涯、日本への贖罪(しょくざい)の気持ちを持ち続けた。パティさんは幼い頃からその話を繰り返し聞いたという。

私の家では多くの涙が流された

 「私は今日、父に代わって許…

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