2011年、香川県小豆島の倉庫から、約80年前の旧日本海軍の缶詰が見つかった。品名は「赤飯」。ラベルには、製造元「廣島縣(ひろしまけん)合同罐詰(かんづめ)・尾道工場」、昭和19年に横須賀海軍軍需部に納入、とある。調べてみると、ルーツが京都にあった。
缶詰の歴史に詳しい立命館大学の河原典史教授(歴史地理学)が「経済統制の影響で、合併して広島県合同缶詰となったようです。元は京都の『竹中罐詰』分工場です」と資料をめくりながら教えてくれた。
京都府の北部、天橋立の東に位置する栗田(くんだ)半島に、現在の「竹中罐詰」(宮津市)の本社と工場がある。竹中史朗会長(90)が、あの赤飯缶詰をみせてくれた。「小豆島から見つかった時、一缶だけ譲っていただきました。私のおじがつくっていたものです」
同社の創業は1908(明治41)年。史朗さんの祖父、仙太郎さんが、祇園で青果店を開いた。缶詰の技術は明治初期、食品の保存方法として欧米から伝わり、同社でも得意先のお茶屋や旦那衆からの要望で、タケノコやエンドウ豆の瓶詰、そして缶詰を作り始めた。
大正期には、輸送の利便性や…