乗客・乗員520人が犠牲となった日本航空(JAL)のジャンボ機墜落事故から12日で40年となる。墜落現場となった「御巣鷹の尾根」がある群馬県上野村で11日夕、灯籠(とうろう)流しが行われた。雨が降る中、遺族らはふもとを流れる神流(かんな)川に「事故はもう嫌だ」「これからも温かく見守ってください」などと書かれた灯籠を流し、犠牲者の冥福と空の安全を祈った。
- 日航123便に搭乗予定だった東ちづるさん 初めて語った事故と風化
事故で亡くなった宝塚歌劇団の北原遥子さん(本名・吉田由美子さん)と同期で、俳優の黒木瞳さんが初めて参加した。
これまでは事故を認められなくて「来る勇気がなかった」。それでも、40年を前に「風化させてはいけない。由美子が24年間生きて輝いていたと伝えたい」と足を運んだ。
黒木さんや「最高の人」と語る北原さんは宝塚音楽学校第67期生。楽しさもつらさも共にしてきた。初舞台での北原さんのソロ演技の成功をみんなで願ったこと。寂しがり屋の北原さんが寮から見える飛行機に向かって「お母さん」って叫んでいたこと――。色んな姿が思い出されて、現場で涙を流した。「遅くなってごめんね。でも、一時も忘れることはなかったよ」
同期の早乙女幸さん、文月玲さんも参加し、12日は御巣鷹の尾根に登る。「明日は久しぶりに同期会だね」。3人は笑いあった。
事故で父の昭司さん(当時50)を亡くした神奈川県大和市の若本千穂さん(60)は、父に見て欲しかったと真っ赤なワンピース姿で訪れた。「どんなに月日が経っても、父が息絶えた上野村で慰霊する8月12日は1年の区切りであり、始まり。節目の40年となる今年はいろいろな思いがこみ上げています」と話した。
優しくほほえむ父の顔。遺体と対面した時の父の顔。どちらの顔も脳裏に焼きついて離れない。今もなお、悲しくやりきれない気持ちもあるが、月日の経過とともに支えてくれる周囲への感謝の気持ちの方が強くなってきたという。
20歳で父を亡くし、すでに父の年齢を超え、7歳と3歳の孫もいる。「父は孫を抱くことができなかった。天国から『がんばったね』と言われるような生き方をしていきたい」と語った。
父の河口博次さん(当時52)を亡くした東京都の大学特任教授・河口真理子さん(64)は、40年目の節目の今回、10年ぶりに上野村を訪れた。10日に御巣鷹の尾根に登り、11日は灯籠流しに参加した。
10年前は父の墓標に手を合わせ、慰霊することに意識が向いていた。だが、今回は上野村の住民らへの感謝の気持ちを強めたという。「村の住人やJALの社員ら多くの方が真心込めて整備してきてくれたおかげでいまの尾根がある。努力されてきた方に感謝しなければと思い、尾根の状況を見に来ました」と話した。
「御巣鷹は、みんなで作り上げた安全の聖地になった。事故の教訓を生かし、航空会社は今後も油断することなく安全を守る努力をしてほしい」
事故は1985年8月12日に発生。羽田発大阪行きの日航123便が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、乗客・乗員計520人が死亡、4人が重傷を負った。事故調査委員会の報告書によると、7年前のしりもち事故の修理ミスが墜落の原因とされる。