戦国武将の明智光秀が築いた大規模な山城・周山城跡(京都市右京区京北周山町)で、大型の城門が見つかった。京都市が発表した。石垣には見栄えを意識した工夫も凝らされている。光秀の権威の高さや、当時の築造技術がうかがえるという。
周山城跡は東西約1・3キロ、南北約0・7キロに及び、標高480メートルに本丸が置かれた山城だ。丹波を攻略した光秀が1579~81(天正7~9)年ごろに築いたと伝わる。信長を滅ぼす「本能寺の変」(82年)の直前のことだ。
光秀は本能寺の変から間もなく、羽柴(豊臣)秀吉に敗れて亡くなった。周山城には、秀吉が84年に一時期入ったという史料があるが、その後の記録は確認されていない。92年までの天正年間に廃城になったと考えられている。今も残る石垣などは光秀や当時の築造技術を知る上で貴重な存在で、市が2017年度から調査している。
今回見つかった城門は、本丸…