人口減少で自治体の「消滅」が心配される時代になったが、かつて「奈良県」も消滅したことがあった。明治初期、大阪に吸収された奈良県の再設置を求め、政府に陳情を重ねて実現に結びつけた今村勤三(1852~1924)は今年、没後100年。出身の安堵町で勤三が暮らした家はいま、歴史民俗資料館として一般公開されている。

 大和と呼ばれてきた地に奈良県が設置されたのは1871(明治4)年。だが、わずか5年後に堺県に統合、81年にはその堺県も大阪府に統合された。財政難に悩む政府は、河川が多く橋や堤防改修費のかさむ大阪府が面積の狭いままでは地租収入が足りないと考えたとされる。

 大和は予算の配分が後回しとなった。道の整備や治水などが遅れ、奈良県の再設置運動が盛り上がっていく。その中心となったのが勤三だった。

「奈良の渋沢栄一」

 平群郡東安堵村(現在の安堵…

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