昨夏の第106回全国高校野球選手権大会で、93年ぶりのベスト8入りを果たした島根県立大社高校。その活躍ぶりに、元野球部監督の今岡実さんはベンチ入りできなかった40年前の教え子たちの顔が思い浮かんだ。
「いまの大社があるのは、あなたたちの活躍があったからこそ」。そんな思いを伝えようとペンを執り、指導法や大社高野球部の歴史を冊子「大社の野球 甲子園への道」(全176ページ)にまとめた。副題には「デクノボウ教師のドタバタ道中記」と付けた。
中学時代は軟式野球部、高校時代は柔道部。硬式野球の経験はない自称「素人監督」。コーチ時代、ノックで外野まで球が飛ばず、「練習にならない、と部員が抗議に来た」と振り返る。
監督就任後の初の公式戦ではコールド負け。「野球を知らないでは済まされない」と、箕島(和歌山)や星稜(石川)、高知商(高知)など全国の強豪校を訪ね歩き、名監督たちの指導方法を学んだ。結果、1981~86年の監督時代、春、夏1回ずつチームを甲子園に導いた。83年の選抜大会では優勝候補の東北高を破り、ベスト8まで勝ち進んだ。
腐心したのはチーム作りだ。夏の島根大会前、ベンチ入りできなかった3年生たちを「助監督」に任命し、練習を任せた。ノックを受けるベンチ入りメンバーは、ノックを打つ3年生の「お前たちに託した」という気持ちをくみ取り打球に飛びついていく。そうしてチーム一丸に昇華させていった。
冊子には「監督のどんな叱咤(しった)激励よりも、生徒の心のノックのほうが影響は大きい」とつづった。「監督は全てをやろうとは思わず、人に任せることも考えなければならない」と指導者としての心構えも添えた。チーム作りでは「何か一つでもいいから日本一になる」姿勢が必要と説くほか、投手養成法や打撃論についても多くのページを割いた。
冊子は500部作成し、監督時代に教えた部員ら約200人に贈る予定だ。残りは県内の学校に配布することを考えており、「島根県勢の底上げにつながれば」と願う。
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1938年生まれ。島根県出雲市出身。広島大教育学部卒業後、数学教諭として島根県立矢上高、横田高で教壇に立ち、73年に母校の大社高に着任。野球部のコーチ、部長を経て、81年に監督就任。83年春と85年夏、甲子園に出場した。その後、松江北高野球部の監督も務めた。