今年は「昭和100年」という。西暦だけ見ていても気付かぬことがある。一方、元号に閉じこもっていては見えない世界がある。
天皇の代替わりによって時代を区切るという特異な時空間を持つこの国で、毎日新聞元論説委員の仮野忠男さん(80)はかつて、予期できない「改元」に心血を注いだ。
因縁とも言える「元号」を追い、それに翻弄(ほんろう)された記者たちの物語――。
昭和への改元時の「トラウマ」
「昭和」が終わった日のことは、記者として、生涯忘れられません。
当時、毎日新聞政治部の官邸記者クラブのキャップでした。1988年9月19日に昭和天皇が大量吐血して以降、翌年1月7日に逝去するまでの111日間は、気が張り詰め寝不足も続き、毎日ふらふらの状態でした。帰宅する余裕などなく、家族に着替えを届けてもらって、クラブや国会記者会館の長椅子で夜を明かす日々でした。
新元号をスクープしようと、既に熾烈(しれつ)な競争が始まっていました。特に私たち毎日の記者には特別な思いがあった。それは昭和への改元時の「トラウマ」を抱えていたからです。
Xデー、極秘メモが手渡された
明治が終わる際に「大正」を…