沖縄県宜野湾市の市街地にある米軍普天間飛行場の全面返還を日米両政府が合意して12日で28年となる。当初5~7年以内とされた返還は実現しておらず、政府が進める名護市辺野古への移設事業完了には、あと十数年かかるとされる。
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沖縄では1995年、米兵による少女暴行事件が発生し、米軍基地の過重な負担が続く状況への県民の不満が高まった。これに対し日米は96年4月12日、市街地に囲まれた普天間飛行場の返還に合意。しかし、「県内に移設する」ことが条件となり、政府は辺野古沿岸部を埋め立てて移設する計画を推し進めた。
ただ、県内移設への県民の反対は根強い。また、辺野古沖には軟弱地盤があって難工事が予想され、普天間の返還時期は「2030年代半ば以降」と大幅に遅れている。その間、04年には隣接する沖縄国際大学に大型輸送ヘリが墜落。17年には普天間第二小学校の校庭に重さ7キロ超のヘリの窓が落下する事故が起きた。
この日会見した玉城デニー知事は、「所属機による事故は後を絶たず、周辺住民はずっと大きな負担を強いられ続けている」と指摘。「普天間飛行場の固定化は絶対に認められない。英断をもって政府は辺野古移設計画を断念し、日米に沖縄を加えた新たな協議の場を設定し、責任ある移設計画についての方向性を導き出すべきだ」と強調した。(小野太郎)