火砕流が襲った地区を自衛隊ヘリで視察、状況を自衛隊側に説明する九州大学理学部付属島原地震火山観測所の太田一也氏(当時)=1991年6月4日、長崎県島原市

 太田 一也さん(おおた・かずや=九州大名誉教授・火山学)15日、慢性呼吸不全で死去、90歳。葬儀は17日午後1時から長崎県島原市弁天町1の7118の6のマルイチ葬祭第一斎場で。喪主は長男祥紀(よしのり)さん。

 元九大島原地震火山観測所長。1990年11月からの雲仙・普賢岳噴火で観測の中心的役割を果たした。避難勧告や解除などの際に行政のアドバイザー役を務め、「普賢岳のホームドクター」と呼ばれた。噴火終息後も執筆や講演を通じて、噴火災害の伝承や啓発にあたった。

島原市長「噴火、災害対策の大恩人」、地元に悼む声

 1990年11月に始まった雲仙・普賢岳の噴火の際、専門家の立場から行政に助言した火山学者で九州大名誉教授の太田一也さんが90歳で亡くなった。「普賢岳のホームドクター」と呼ばれた太田さんの死に、地元でも悲しみの声が広がった。

 雲仙岳災害記念館の杉本伸一館長は、火砕流の被害について、太田さんが「防災知識が足りなかったのではなく、意識が不足していた」と語っていたのを覚えている。「学者としてだけでなく地域の一員として考えていただいた太田さんの思いを引き継ぎたい」と悼んだ。

 古川隆三郎・島原市長は「市にとっては噴火、災害対策の大恩人、心から感謝している」とコメントした。

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