《今年4月、岩波書店から著書「承認をひらく」を出版した。既に3刷と版を重ねている》
「96歳で本を書くなんて」と驚かれることもありますが、私にとって学問をすることは、生き方の道しるべを考えるための道具。だから特別なことだとは思っていません。
《真の民主主義社会を実現するため、同書は「相互承認」と「社会参加」の重要性を説く》
経済学者・暉峻淑子(てるおか・いつこ)さんが半生を振り返る連載「学問は生活からしか生まれない」。全4回の初回です(2024年10月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)。
地元の東京都練馬区で「対話的研究会」という勉強会の世話人を務めています。先日そこで、「承認をひらく」の話をしました。すると参加者から、「先生の本はなぜ理論だけでなく、実際に起きた事件や出来事が出てくるのか」という質問を投げかけられました。
私は、具体的な事実の中に真理があり、人間の実感の中に本質があると思っています。それを尋ねるのが、私の生き方であり、私の学問でした。現実の生活からしか学問は生まれません。
しかもね、若いときには数本しかなかった学問のアンテナが、いまでは数十本になっている。年を取れば取るほど、日常のあらゆることが考えるべきテーマとして感じとれるのです。
《96歳でも夢をかなえる》
長生きしているのは、何でもプラスに考えるから。批判されても学びを見つけ、自分の糧にしてしまうので。
これまでずっと頭にあったのは、長く生きた人間は最期に何を思うのかということ。私の夢は、死ぬ時に最高の考えを持っていること。その時に何を考え、自分の人生を総括するのか。それが楽しみなんです。
私がこうした人間になったのは、研究者で迷信を信じなかった父と、専業主婦で「お嫁にいけなくなる」が口癖だった母、2人の影響が大きいでしょう。
科学者気質の父、女らしさ求めた母
《1928年、大阪生まれ。天王寺公園の近くで育った》
父は国立大学で高分子化学の研究をし、化学繊維の開発に携わっていました。15年戦争に突入してからは、繊維開発は国策となりました。昭和天皇から旭日重光章、恩賜(おんし)発明賞を授与され、取得した特許は国際的なものも含めて48ありました。
ただ、女の私には研究の面白さや成果を話してくれることはありませんでした。女性の幸福は良妻賢母だと信じ切っていたからでしょう。
私が生後100日になると、父はドイツにあるカイザー・ウィルヘルム研究所へ単身で派遣されました。
帰って来たのは私が3歳の時。父はなんとか親子の情を結ぼうと、私のことを特別にかわいがりました。
ただ、科学者らしく「迷信を排する」という態度が徹底していて、たとえば私が学校で聞いた「火の玉」「こっくりさん」の話を披露すると、「証明されていないことだ」とたしなめました。父は何でも理論的に説得するので、私の家では「全能の神様」。反発ができないので、「お父さんが学者じゃなければよかったのに」といつも思っていました。でも母に言わせれば、3人姉妹のなかでは私が一番、父に似た性格になったのだそうです。
《母は雑誌「婦人之友」の愛…