兵庫県西宮市の阪神甲子園球場

 スポーツ界では、指導者による暴力が昔に比べて減ってはいる。だが、大会中に出場を辞退した広陵(広島)の暴行事案を受け、部員間にもクローズアップして脱暴力を目指さなければいけない、と再認識する。暴力、暴言、いじめはいかなる場合も許されない。

 部員間の暴力やいじめを理由として日本学生野球協会が対外試合禁止の処分をとった事例を、ここ10年分さらうと、ある傾向がみられた。

 秋田県の高校では部室で2年生2人が1年生3人に対し、バットのグリップエンドで頭をたたき、みぞおちを殴り、往復ビンタをして、竹で背中などもたたいていた。こうした行為は「指導」として行われていた。

 北海道の高校では、練習中のミスなどを理由に、2年生4人が1年生4人に暴力をふるった。鹿児島県の高校では2年生3人が1年生14人に対し、寮内の態度が悪いことなどを理由に頭突きなどをした。

 練習態度が悪い、部室の掃除をさぼったといったものを含め、上級生が下級生に改善を促す理由で、暴力に及ぶ事例が目立つ。

 これらは選手を強くするため、チームを勝たせるための「指導の一環」として、指導者が選手を暴力で威圧し、自分の意のままに動かそうとした構図と似ている。高校生は大人のまねをしてきたのではないか。かつて先輩に殴られた部員が、上級生になって暴力をふるう「負の連鎖」もあるだろう。

 最近はいろいろな部活動で、選手の主体性を高める動きが進んでいる。学校教育で主体的、対話的な学びが求められ、スポーツの現場でもそうした要素が重視されるようになってきた。チーム方針や練習内容、試合のメンバーなど、運営の多くを選手たちが話し合いで決める。指導者は見守り、問題が起こった時に修正のヒントを与える。勝利を目的の一つとしながらも、プロセスを通じた選手の成長にも多くの価値を置いている。

 こうした取り組みを取材していると、暴力とは無縁だと感じる。指導者も選手も「言葉」が勝負になるからだ。自分の考えを通したければ、それなりの理由付けと実践が必要になる。仲間たちの考えを理解することが前提になる。

 日本高校野球連盟は3月、寮で禁止されているカップラーメンを食べたことを理由に広陵の当時の2年生4人が1月、1年生を暴行したとして、厳重注意の措置をとった。広陵は、学校側が確認した内容と生徒側の訴えに食い違いがあるため、再調査するという。

 寮のある部活動では、部員たちが寮生活のルールを、ことあるごとに話し合うようにしてはどうか。寮は閉鎖的になりがちで、ストレスもたまりやすい。

 例えば、カップラーメンを食べていいのか、いけないのか。それはなぜか。改めて話し合い、管理する学校や指導者に意見として伝える体制をつくる。そうすれば、部員同士が互いを理解することにつながる。何より、思考力や自発性を高められ、部活動の意義も深くなる。

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