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喜屋武幸さん。「基地があるがゆえの生きづらさを伝えたい」と語る=2024年8月19日午後5時45分、沖縄県内、棚橋咲月撮影

 国が申請した工事の設計変更を、県知事に代わって国が承認する。その「代執行」に踏み切ってから8カ月、沖縄県名護市辺野古の大浦湾で新たな工事が始まりました。こうした国策が、地域にどんな影響を与えているのか。地元の中学校で教師をしていた喜屋武幸さん(70)に、子どもたちの姿について聞きました。 

 辺野古の子どもたちが通う沖縄県名護市の久辺(くべ)中学校で、教務主任をしていました。約30年続けた教員生活の、最後の3年間です。同僚に反対されながら、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設について考える授業をもちました。

 きっかけとなった出来事があります。

 赴任後の夏休み、移設に抗議する人たちが座り込む現場のテント小屋に3年生の男子生徒たちがいるのを見かけました。翌日聞くと、「毎日うるさいから何だろうと思って、みんなで見に行った」と。

 地域の大人たちは移設計画をめぐり「容認」か「反対」かで分断され、学校でも移設問題はほとんど話題にしない。でも、子どもたちは、そこで何が起きているのか知りたいと思っていたんです。

言葉を奪われていた子どもたち 「それも基地被害」

 2、3年生の総合学習の時間…

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