ネット動画はメディア史にどう位置づけられるのか。それが選挙にも影響すると言われる時代に、どう向き合えばいいのでしょう。「あいまいさに耐える――ネガティブ・リテラシーのすすめ」の著書がある上智大教授の佐藤卓己さんに聞きました。
メディア史家・佐藤卓己さんインタビュー
――新聞、テレビの影響力が低下し、ネット動画やSNSの力が増していると指摘されています。
多くの文明史家が指摘してきたように、狩猟採集社会から農耕社会、工業社会の次に「情報社会」が来ると言われてきました。でも実際に来たのは、真偽不明の情報があふれ、感情に左右される「情動社会」だったようです。
――情動社会とは。
「情報社会」が構想されたのは、情報が貴重だった時代です。活字メディアが中心で、文章を読み考えながら文脈を検証し、真偽を判断する。そこではジャーナリズム論が有効でした。
ところが今は、情報があふれかえっています。ネット動画には論理的つながりに乏しいものもあり、どれだけ多くの人がその動画を見たかが重要視されます。それを発信したメディアを信じるか、疑うかという「信疑」を考量するメディア論が有効になっています。
情動だから、信じたいものは肯定し、疑うものは否定するわけです。即時的な自分の好き嫌いの気分に任せることになる。伝統的な新聞や雑誌のような「文脈依存型」のコミュニケーションではなく、ネットでそれに触れたという感覚が意味をもつ「接続依存型」のコミュニケーションになっていると言えるでしょう。
――「文脈依存型」とは。
動画が流す情報の真偽、どう判断?
もっと一般的な言葉でいえば…