政治学者・岡田陽介さん寄稿
自民党の総裁選と野党第1党の立憲民主党の代表選が、いよいよ投開票を迎える。新たなリーダーに求められる資質は様々あるが、なかでも所属議員が気にするのは、「選挙の顔」になるかどうか、だろう。
総裁選から間もなく今秋にもあるのではないかとささやかれる衆議院の解散・総選挙。リーダーの人気がそれぞれの党の集票力を左右するのは間違いない。〝人気者〟を押し立てて選挙に臨みたいというのは、議員心理としては当然と言えよう。
言うまでもなく、政治のリーダーにふさわしいのは単なる人気者ではない。総裁選や代表選では、実績はあるのか、改革を進められるのか、政権を運営する力はあるのかなどが、厳しく問われるに違いない。政策や政治信条をめぐる議論が大いに交わされることに期待したい。
われわれ有権者としては、そうした議論の中身を踏まえたうえで一票を投じたいと考えるのは当然である。経済、社会保障、外交・安全保障、「政治とカネ」などの政治改革、判断材料にしたいテーマは山ほどある。選挙に際してはそうした材料がふんだんに示されることが望ましい。
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消えたマニフェスト
私はこれまで選挙における有権者心理などを研究してきたが、投票にあたり有権者が十分な判断材料を手にしているかといえば、心もとないと言わざるを得ない。確かに政党や候補者の「公約」はある。2009年の衆院選では各党が「マニフェスト」を掲げ、民主党の「マニフェスト」が力を発揮して政権交代に至った。しかし、公約はしばしば破られ、マニフェストは民主党政権の崩壊とともに姿を消した。
その後の選挙でも、自民党をはじめ各党が「政権公約」などのかたちで公約や政策を掲げるが、どこまで達成されたのかを振り返れば、有権者の判断材料として機能しているとは言い難い。いきおい有権者の判断材料としては公約よりもイメージがどうしても先行する。「選挙の顔」としてのリーダーのイメージがクローズアップされる背景には、そうした事情もある。
有権者にとってそれでいいのだろうか。
もちろん、「否」である。
どうすればこうした状況を変…