102年前に発生した関東大震災で、「朝鮮人が略奪や放火をした」といった流言飛語が広まり、多くの朝鮮人らが殺害される事件が各地で起きた。群馬県との県境に位置する埼玉県本庄市も、そのひとつだ。
もう二度と、同じ悲劇を起こしてはならない――。
吉田信解(しんげ)市長(57)はそんな思いから毎年、9月1日に市内で開かれる朝鮮人の慰霊追悼式に参列し、慰霊の言葉を述べている。
虐殺事件は、どのように起きたのか。
事件に関わった人らを裁いた裁判記録や本庄市史、吉田市長の説明によると、本庄市は当時、地震による被害は小さく、東京都内から多くの人が避難してきた。
その中には、朝鮮人ということで当時の本庄警察署に「保護」されたり、トラックで「移送」されてきたりした朝鮮人がいた。しかし、9月4日夜から5日未明にかけて、自警団などの群衆が朝鮮人を殺害。警察署内で虐殺された人数は、確認できただけで八十数人にのぼるという記録がある。
本庄市史では「凶器で叩(たた)く、殴る、蹴る、切るの残酷さは筆舌に尽くせぬものがあったという」と記されている。事件の遺体は、市役所の東側にある長峰墓地に埋葬されている。
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なぜ、虐殺事件が起きたのか。
吉田市長は「裁判記録による…