在日朝鮮人の被爆者らによる広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)が2日、原爆犠牲者追悼集会を広島市内で開いた。在日本大韓民国民団(民団)広島県地方本部の慰霊祭は50年以上続くが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の朝被協の追悼行事は初めて。
南北分断が続く朝鮮半島出身の全ての犠牲者を慰霊する会として催し、約110人が参列した。
朝被協会長で胎内被爆者の金鎮湖(キンヂノ)さん(79)はあいさつで、南北統一慰霊碑建立をめざすと述べ、「若い世代も含めた同胞、日本の市民と共に歴史を引き継ぎ、未来につなげていけるよう皆で手を携えることを願う」と話した。広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の箕牧智之理事長(83)は「原爆は人を選ばず焼き尽くした。戦争、核兵器のない世界になることを望む」とあいさつ。もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(80)も来賓として参列、献花した。
若い世代の代表として朝被協理事の権鉉基(コンヒョンギ)さん(43)が「出身地や思想の違いを超えて、全ての朝鮮半島出身の犠牲者を悼むことのできる統一慰霊碑を建立したいと強く願う」と語った。
日本政府による徴用や出稼ぎなどで広島・長崎に渡り、被爆した朝鮮半島出身者は数万人とも言われるが、実態はいまだわかっていない。厚生労働省によると、韓国では昨年3月時点で1678人が被爆者健康手帳を持ち、国交のない北朝鮮にいる被爆者の数は不明だ。
「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は1970年に民団県地方本部の有志らが平和記念公園の川を挟んだ対岸に建て、狭い場所で追悼行事が営まれてきた。その後、「公園外にあるのは差別では」として公園内への移設を求めると、広島市は当初、南北統一碑とすることを移設の条件にした。
今回の追悼集会の実行委員会にも加わる朝鮮総連広島県本部、民団広島県地方本部、市の3者が協議したが、碑文の文言などで折り合えず、99年に民団側の慰霊碑を公園内に移すことになり、統一慰霊碑は実現しなかった。
2000年に史上初の南北首脳会談が平壌で開かれて融和ムードが広がり、01年に南北統一碑を公園内に建てることで3者が基本合意したが、いまも協議は続いている。金さんによると、被爆者が高齢化し碑の建立を待てないため追悼集会の開催を決めた。