Smiley face
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 日本の政治史に残る暗殺事件である2・26事件。時の大蔵大臣、高橋是清が1936年、自宅で青年将校らに殺された。舞台となったのは、東京・赤坂。米国で奴隷として売られたり、南米の銀山開発で失敗したり――。波瀾(はらん)万丈の人生を歩んだ高橋の生前の姿を少しでも感じられればと、地下鉄・赤坂見附駅から足跡をたどった。

奴隷に売られ、ペルーで銀山開発に失敗・・・

 米国留学時代、手違いで奴隷に売られ、帰国後、官僚として出世したが辞職。ペルーに渡り、銀山開発を手がけたが失敗し、再び帰国。日本銀行総裁に声をかけられ、日銀で職を得ると日露戦争の戦費調達で力を発揮し、総裁に。その後、政界に転じ、首相を1回、大蔵大臣を7回(首相兼務の1回を含む)。日銀の広報誌による高橋の経歴はすさまじい。

ふっくらした風貌の「ダルマさん」

 ただ、私の印象は少し異なる。以前見た資料写真には孫たちに囲まれて、穏やかな笑みをたたえる高橋の姿があった。自宅ではダンスパーティーが開かれたり、子どもがピアノの演奏のため集まったりしていたという。ふっくらした風貌(ふうぼう)から、「ダルマさん」とも親しまれた高橋は、いろいろな顔を持つ魅力的な人物だったに違いない。

 そんな高橋が居所として選んだのが、赤坂だ。江戸時代は武家屋敷が多かった場所で、官庁に近く生活しやすかったことも、理由だったのだろう。

 赤坂見附駅から赤坂御用地を右手に見て青山通り沿いを南西に進むと、自宅跡地に造られた「高橋是清翁(おう)記念公園」(港区赤坂7丁目)が見えてきた。新緑が美しい季節。木漏れ日のなか、会社員や外国人観光客とおぼしき人々がベンチでお弁当を食べたり、本を読んだりしていた。

 公園の奥に羽織姿の是清の銅像を見つけた。銅像は2代目で、初代は洋服姿だったという。初代の銅像がどうなったのかは不明だ。第2次大戦中に金属として軍に供出されたか、空襲で焼失したかといわれている。

 園内を歩いていると、いくつもある石像に目が留まった。数えると5体。衣服や顔つきからして、朝鮮半島出身の人物のものだろうか。なぜ、こんなところに?

■かつてあった李王朝9代成宗…

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