一九七〇年、まだ少年だった父は大阪の万博を訪れテレビ電話に驚いた。二〇〇一年、修学旅行で万博記念公園に来た十二歳の私は「エキスポ」の意味もよくわからないままにジェットコースターで絶叫した。そして時は流れて二〇二五年、土砂降りの雨のなか夢洲に立っている。
「カミーユ」「ヘクタール」などの歌集で知られる気鋭の歌人・大森静佳さんが6月上旬、丸一日かけて大阪・関西万博の10パビリオンをまわり、短歌とエッセーを寄稿しました。
「短歌をとおして万博の記憶を未来に残せたら」と依頼をもらったとき、返信に数日悩んだ。家にいながら海外の映像や知識に気軽にアクセスできる現代に、わざわざ莫大(ばくだい)な費用をかけて万博を開催する意味は一体何なのか。「いのち輝く 未来社会のデザイン」をテーマに掲げるが、いま私たちに想像できるのはどんな未来なのだろうか。そうしたざらついた気持ちも含めて記録してほしいと言い添えてもらったことで決意は固まり、大阪・関西万博が映しだす未来と時代をこの目で目撃しに行くことになった。
《雨の日は背泳ぎで過去へとゆける大屋根リングをずぶ濡れにして》
大屋根リングから会場全体を一望したあと、地上に降り立ってまず迷いこんだのは「静けさの森」だ。将来間伐予定だった樹木約千五百本を大阪府内の公園から移植してきたという鬱蒼(うっそう)とした森。私はいま一体どこにいるのだろう、いつにいるのだろう、と不思議な浮遊感を抱くのは、森の随所で出会う鏡を使ったインスタレーションのせいかもしれない。地面に埋めこまれたバケツの底の鏡が空を映すオノ・ヨーコの「Cloud Piece」、草花の繁(しげ)る温室のような空間にマジックミラーを仕込んだレアンドロ・エルリッヒの「Infinite Garden」。まるでいくつもの鏡の向こうに現実の「いま」とは別のいくつもの世界が乱反射するよう。
あるべき未来へ向かって時代が経済成長を遂げつつあった七〇年万博には「いま」に対する確信があったはずだが、ここにはむしろ「いま」が揺らぐ感覚がある。
《耳鳴りのごとく鏡は増えてゆ…